さっぽろ雪まつりは世界三大雪まつり
この「さっぽろ雪まつり」は2018年度で第69回を迎える札幌しいては日本を代表する特大イベントであり、現在は例年ぬぅあんとぉぅっ!約230万人もの人出があります。
また、知らない方も多いと思われますが、のぉわぁんとぉぅ!この「さっぽろ雪まつり」は『世界三大雪まつり』の1つでもあります。
世界三大雪まつり
- ケベック・ウィンター・カーニバル(カナダ)
- ハルビン氷祭り(中国)
- さっぽろ雪まつり
項・一覧
- 1 さっぽろ雪まつりは世界三大雪まつり
- 2 さっぽろ雪まつりの「キッカケ(起源)」
- 3 ところで、「さっぽろ雪まつり」の名前の由来とは?
- 4 さっぽろ雪まつりの歴史(年表)
- 5 札幌雪まつり歴代開催年一覧
- 6 質問っ!さっぽろ雪まつりは、なぜ、大通り公園で開催されるようになった?
- 7 どころでさぁ、あんな巨大な雪像はいったい誰が作っている?
- 8 雪像の制作期間はどのくらい??
- 9 さっぽろ雪まつりのテーマは「純白の夢よぶ世界のひろば」?
- 10 さっぽろ雪まつりの運営費用
- 11 さっぽろ雪まつりの「もう1つの見どころ」
- 12 さっぽろ雪まつりの雪は当初、除雪した雪が使用されていた❓
- 13 さっぽろ雪まつりのINFO
- 14 関連記事一覧
さっぽろ雪まつりの「キッカケ(起源)」
北海道小樽市の「小樽市北手宮尋常小学校」の2月の恒例行事であった「雪まつり」が発祥であり起源となります。
現在の雪まつりの規模から思えば、とても想像できないことですが、概ね起源とはこのような些細なものです。
なお、小樽市北手宮尋常小学校は後に小樽市立北手宮小学校と改称されたが、2015年に閉校と相成った。泣シクシク 36
ところで、「さっぽろ雪まつり」の名前の由来とは?
上記のとおり、「さっぽろ雪まつり」の名前の由来は「小樽市北手宮尋常小学校」の2月の行事であった「雪まつり」が由来になってい‥‥‥申す。ユキぃヤっぅぉ!(”雪”を勇ましく表現)
さっぽろ雪まつりの歴史(年表)
1950年(昭和25年)
1950年は、札幌市や雪まつりにとっては歴史的な年となります。
そう、なんといっても、この「さっぽろ雪まつり」の記念すべき第一回開催は、1950年(昭和25年)に開始されたからです。
難儀した雪像作り
第一回、雪まつり開催のみぎり、継続するかどうかも分からない小規模開催とは分かっていながらも、作るからには良い物(雪像)を作り上げたいという思いが参加者各々の胸中には素敵にあった。
ただ、問題となったのは、誰も(その当時では)大規模な雪像を作った経験が皆無であり、暗雲が立ちこめるスタートとなった。
悩んだ札幌市は教育委員会を介して中、高校生たちに制作してもらえないか?‥と、市内の中・高の学校へ打診し、その結果、美術教論の監修のもと、鑑賞しうるだけの価値を有する雪像制作を学生たちが担う運びとなった。
その後、最終的に出展が決定したのが、北海高「裸像」、札工高「ミロのビィナス」、道二高(現札幌西高)「羆」、北辰中「バルザック」「セザンヌのモニュマン」、向陵中「生徒の首」の6躯(体)の雪像だった。
当時の市長(観光協会理事)も賛同
この当時、札幌市長の板垣武四元氏は市の経済部長の他、観光協会理事も兼ねており、戦後の経済難の他、食料・燃料不足を解決する方法を模索していた。
もしくは、何とか市内に立ちこめる暗いムードだけでも明るい方向に転換できればと、そのキッカケをも模索していた時でもあったが、折しも、板垣氏がたまたま訪れた映画館で流れたニュースに、小樽の子供たちが校庭の雪を固めてナタやノコギリを使って小さな雪像を作っている映像が映し出されたのだった。
そこで戦前からすでに始まっていた「小樽市北手宮尋常小学校の雪まつり」と札幌一中の「雪戦会」、さらには中島公園で行われていた「カーニバル」とを融合させた祭典が札幌でもできないかと考え始め、やがて、この考えが札幌市内の中、高校生たちに雪像制作を依頼する発端となる。
今日に到るまで、さっぽろ雪まつりが継続されるのも、こうした経緯があったからに他ならぬぅぁい。
第一回目のさっぽろ雪まつり
生徒たちに制作依頼を出した札幌市としても、市内を明るくするまたとない機会だと、にわかに活気づき、雪像展示を主としたカーニバルイベントを企画した。
その結果、雪像の展示以外にも次のような催しを行うことが決定したのだった。
- カーニバル
- 仮装行列
- 雪合戦
- 歌謡コンクール
- タンブリング
- ダンス(スクエアダンス)
- 演芸大会
- ドッグレース(犬ぞりレース)
- 映画の上映
以上のような札幌市あげてのイベント開催が決定すると、当時の日本国有鉄道(国鉄/現在のJR)や、札幌鉄道管理局も名乗りを上げ、これを後援する形で札幌駅前に第一回目・札幌雪まつりが開催されることになった。
この結果、約5万人もの観覧客が来場するという大成功企画となり、次回開催が即決定した。
(この雪まつりは当初、継続が確定されておらず、来客数による状況判断がとられていた)
1951年(昭和26年)
第2回開催となる昭和26年からは札幌市の中核規模の年間行事として正式に位置付けられる。
これにより、市民の間にもさらに雪まつり文化が浸透してゆき、札幌市民、ひいては北海道の行事として定着していく結果を生んだ。
1953年(昭和28年)
実は初回開催以降、年が増すごとに雪像が大きくなっていったので、倒壊の危険が懸念されたこともあって1953年まで高さ7メートルの制限が設けられた。
しかしそれでも人気を博し、やがて札幌および北海道の冬の恒例行事の中核に位置づけられる。
ところが、1953年になると従来の高さ制限を大きく上回る高さ15メートルもの巨大雪像「昇天」が作られる運びとなり、協議の末、造像が決定した。
この雪像はこの当時では雪まつり史上空前の巨大雪像ということで、トラックやブルドーザーまでもが出動するほどの大きな話題を呼んだ。
1954年(昭和29年)
第5回となる1954年からは市民制作の雪像も雪まつりに展示されるようになり、当地陸上自衛隊の「真駒内駐屯地」にて自衛隊隊員による雪像が制作されるようになった。
自衛隊隊員による雪像制作が開始された理由
- 隊員の雪上における野戦築城訓練
- 隊員の基礎体力づくり
- 隊員の精神的緊張をほぐす(レクレーション)
- 地域貢献
- 自衛隊という行政機関のアピール
1955年(昭和30年)
第6回開催には地元企業、市役所、地元札幌の自衛隊「第7混成団(第11師団=現在の第11旅団/だいじゅういちりょだん)」も制作に参加を表明する。
本開催では、はじめて今日にみることのできるような精巧かつ芸術的な雪像が展示された。
特に注目が寄せられたのが、大通り4丁目に展示された高さ10mのマリア像、その名も「栄光」だった。
1956年(昭和31年)
1956年の第7回より、市内高校生の雪像作りが見られなくなり、代わりに上記、陸上自衛隊の真駒内駐屯地にて、第7混成団(第11師団)による雪像のコンクールが開催された。
とりわけ、第11師団は真駒内駐屯地に所属する、北海道南側地域の防衛を主要任務とし、雪まつりに参画する理由もその任務の一環であり、これは国で定められたことに拠るもの。
元祖・市内中高生の雪像が廃絶した理由
冬の札幌ひいては、北海道の「雪まつり」として、すっかりと定着するようになると、世間の注目を浴びるあまり、雪像にも芸術性を伴う完成度が、素敵に求められるようになった。
この時点で、もはや単なる中高生のレクレーションレベルでは無くなったことを、やっぱり素敵に意味した。
また、この頃、俗に昭和の高度成長期と呼ばれる時期に入ったことや、大学進学率も飛躍的に向上した背景があり、2月ともなると中高生にとって受験や就職に備える重要な時期でもあった。
問題は他にもあり、公益性ではなく営利主義に傾倒した結果、国際化する案も出されるなど、市民感情とのギャップも生じた。
雪まつりの歴史を顧みる上で本年は境目となった時期の一つであり、本年を機によりいっそう観光化する動きが強まった。
1959年(昭和34年)
第10回ともなると、日本各地のメディアがニュースとして報道すると、道外からも多くの観覧客が訪れにようになる。
メディアが大々的に報道したことから機運はいっそぅ高まり、本年の雪像制作には2,500人もの地元民が参加するなど、あらゆる意味合いで、これまでに類を見ないほどの規模で遂行された。
この第10回開催は例年以上に話題を呼んで大成功を収め、本開催を機に地元の雪まつりではなく、我が国の雪まつりへと変貌を遂げ、国際的に「さっぽろ」の名称が広まることになる。
1963年(昭和38年)
1963年になると陸上自衛隊・真駒内駐屯地が一般開放されるに到り、一般の方が駐屯地内へ入って観覧することが許可された。
雪まつりにおいては「真駒内スノーフェスティバル」と題して、雪まつりのオマケ(オプション)として注目を集めることになる。
1965年(昭和40年)
1965年は雪まつり史上、大きな転換期の一つとなる。
陸上自衛隊・真駒内駐屯地が、さっぽろ雪まつり「第2会場」として登録される。
また、並行して陸上自衛隊が正式に雪まつり運営組織に参画することになり、陸上自衛隊が所有する機材や設備、資材などが投入されることになった。
自衛隊が所有する機材や設備を投入できるようになったことで、雪像制作における技術力・芸術性の飛躍的な向上が望め、雪像の巨大化にも期待できる体制が整った。
まさに世界的に知られる今日のさっぽろ雪まつりの地盤が確立したことになる。
1967年(昭和42年)
冬季オリンピックの除雪対策を意識して「札幌市除雪対策委員会」が発足し、日本における先進除雪都市「札幌」が誕生する。
また、拡幅除雪、運搬排雪、除雪ステーション、交差点のロードヒーティングの設置、歩道除雪、通学路の除雪、市民助成制度の設置などの除雪五ヶ年計画を打ち立てた。
特に市民助成制度としては、町内会等に対して「除雪機械購入補助制度」を半ば義務化した。
1970年(昭和45年)
札幌市の人口が100万人を突破する。
札幌市長期総合計画に基づいた五ヶ年計画が策定され、経済振興、市民生活向上を図るための、よりいっそうの道路除雪の円滑化が計画された。
1972年(昭和47年)
1970年代に入ると雪まつりが世界各地のメディアでも取り沙汰され認知度が高まる。
その大きな原動力となったのが、第23回開催となる1972年に開催された札幌冬季五輪(オリンピック)となる。
冬季オリンピックでは「ようこそ札幌へ」のフレーズで全世界へ札幌をアピールするとともに、同時開催されていた、さっぽろ雪まつりが日本を飛び越えて全世界中に知られる。
本年は札幌市も雪まつりを世界へアピールするチャンスだと意気込みをみせ、歴代最大となる高さ25メートルも雪像が制作された。
この雪像は「真駒内アイスアリーナ」と「屋外スケート場」の間に安置され、「ガリバーようこそ札幌へ」と銘打った、街中で体育座りをした姿のガリバー像になる。
画像引用先:毎日新聞
高さが25mもあることから使用される雪の量も半端なく、累計1300台もの雪輸送専用トラックが配備され、会場と採雪場を往来する形にて、なんとか使用予測分の雪量確保が実現できた。
1974年(昭和49年)
前年、第23回開催を機に世界からも、さっぽろ雪まつりに参加したいとの声が上がり、協議の末、海外参加者による「雪像の国際コンクール」の開催が決定し、招待する運びとなった。
第1回国際コンクール参加国
- カナダ
- アメリカ合衆国
- フランス
- 南ベトナム
- 大韓民国
- 日本
以上、合計6チーム
なお、本年は世界的なオイルショックの影響で雪を運搬するトラックの使用が制限されたため、試行錯誤の結果、雪像の中心部にドラム缶を据えるなどして極力、少ない雪の量でも雪像として成り立つようにした。
本年も苦戦を強いられたが、結果的にみれば大成功といえる開催だった。
1979年(昭和54年)
昭和54年の第30回開催は節目の会として重要視され、本開催を記念して芸術家の岡本太郎氏に雪像、バッジ、メダルのデザインが依頼された。
雪像は岡本太郎氏監修のもと、「太陽の女神」というテーマのもとに制作された。
⬆️クロミくじ(サンリオ)で2本しか当たりの無ぃ”ぬい”が当たった瞬間の嬉しさほど噂の‥‥「岡本太郎デザインの記念メダル(雪の女神)」
サイズ
メダル:直径約7cm
専用ケース(約):14.5cm×10.5cm×2.5cm
⬆️声域がオッサン化して北斗の拳のモノマネ「あ〜たたた‥」が、かすれ声でしか出なくなった情けなさほど噂の‥‥岡本太郎氏監修の雪像「太陽の女神」
岡本氏は当年の雪まつり会期後、『皆が童心にかえり、騒げる雪まつりは本当に素晴らしいの一言。まさに世界のまつりだ』と述べた。
後年、この時、岡本氏が言い放った一言は、雪まつりを開催する意義として原点回帰する上で重く受け止められる言葉となった。
1974年以後
1974年以降、札幌とは深い繋がりのある「瀋陽、アルバータ州、ミュンヘン、シドニー、ポートランド」が国際コンクールに参加表明し、自国の文化を象徴したような雪像が制作された。
これにより、国際コンクールが国際的イベントとして認知されたことを自覚させた。
1981年(昭和56年)
1981年から雪像の造立のみならず、氷の彫刻展までもが開催されるようになる。
そぅ、このイベントこそが今日に見られる「すすきのアイスワールド」すなわち、「すすきの氷像展示」であったが、この当時はまだ雪まつりのオプション的な位置付けの祭典(イベント)だった。
1983年(昭和58年)
1983年の第34回目の開催には、現在のベーシックスタイルとなる雪まつり3つ目の会場として「すすきの会場」が登録される。
本年のパンフレットは初めてライトアップに照射された氷像の姿や、イルミネーション(ライトアップ)された、すすきの会場の様子などが掲載され、注目が集まった。
1984年(昭和59年)
第35回目からは、大盛況であった前開催からのヒントを活かし、雪まつり期間が2日間延長されて7日間になった。
なお、本年より今日に到るまでのスタンダードスタイルとなる7日もしくは8日開催になった。
1986年(昭和61年)
第37回となる1986年からは、「ホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」の開催期間が雪まつり開催期間と重なるように延長されるようになった。
「ホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」とは、現在の「さっぽろホワイトイルミネーション」のことであり、1986年以前までは大通り公園にて12月上旬から1月上旬まで開催されたいた「夜間電飾イベント(イルミネーション)」になる。
1987年(昭和62年)
この第38回目となる1987年からは、2月5日から11日までの約一週間が開催期間として位置付けられ、今日にまでに踏襲されるスタンダードスタイルが確立する。
また、本年から開催期間中の週末となる土日祝日に地元テレビ局を中心とした専用番組が設けられ、雪まつりの全国放送が開始された。
1990年(平成2年)
第41回目となる1990年からは「中島公園(中央区)」が新たに「第4会場」として雪まつり会場に編入された。
1992年(平成4年)
第43回目となる1992年には、歴代で最多となる366躯の雪像展示が記録された。
(大通会場177躯、真駒内会場8躯、中島会場81躯、すすきの会場100躯)
1993年(平成5年)
第44回目となる1993年は、中央区・中島公園の第4会場が廃止されることになった。
会場に指定されてから、わずか3年という早期での廃止だった。
さっぽろ雪まつり中島公園(第4会場)が廃止された理由
中島公園が廃止された主な理由としては以下のようなことが挙げられる。
- 当会場は一般市民が制作した雪像群が配置されていた
- 当会場はメイン会場となる大通公園会場からは徒歩約20分も離れた場所にあった(上掲地図参照💘)
以上のような理由から中島公園まで足を運ぶ観覧客が少なかったことが主な廃止理由となる。
1996年(平成8年)
本年より雪まつりの模様を伝える特別番組として、以下の放送局から雪まつり特集番組が放送された。
ザ・雪まつり
札幌テレビ放送(STV)制作・日本テレビ系列
雪まつりバラエティースペシャル(雪まつりドラマスペシャル)
北海道テレビ放送(HTB)制作・テレビ朝日系列
いずれの番組も不況の影響などで1997年に放送終了。
近年では道内テレビ各局の全国ニュース枠内にて短時間での会場の様子が放映される。
ジェイコム札幌では雪まつり特番を組んで全国のケーブルテレビ局へ配信してい‥‥申す。アヒェっ
1998年(平成10年)
第49回目となる1998年の第25回「国際コンクール」では、歴代最多となる全世界20チーム、合計80名もの選手が参加し、祭典は活況極まった。
2001年(平成13年)
2001年(平成13年)9月11日にアメリカ合衆国で起こったテロによる凄惨な無差別殺人が発端となり、「テロ対策特別措置法」が、シレっと素敵に制定された。
これにより、自衛隊の行動にも制限がかかり、参加体制が一新されることになる。
ちなみに、このテロはイスラム系テロ組織「アルカイダ」の実行犯が航空機をハイジャックし、世界貿易センタービルの110階へ機体ごと突っ込み、2749人の尊い命を奪った惨事だった。
2005年(平成17年)
第56回となる2005年には、テロ対策特別処置法の影響から陸上自衛隊の参加が困難となり、約40年間続いた真駒内会場が閉鎖と相成った。…トホホ
雪まつり真駒内会場が閉鎖された理由
- 自衛隊第11師団の規模縮小により雪像制作の参加人数が確保できなかったこと
- 雪まつり時に駐屯地を開放した際、テロ法に則った上での兵器や武器が盗難される危険性が懸念されたこと
以上のような事柄が主だった理由として述べられる。
2006年(平成18年)
2006年から2008年には、「さとらんど会場」が新たに開設されてい‥‥申す。あっひゃぃよ〜
2009年(平成21年)
2009年からは「第2会場」が「つどーむ会場」に定めらた。
つどーむ会場は、上記「さとらんど」の至近距離に位置することから、これが指定理由の一つになっていると考えられる。
2010年(平成22年)
第61回となる2010年には来場者数が過去最多となる243万3000人の人出が確認される。
この年の大きな出来事といえば、現在では毎度お馴染みの雪まつり公式キャラである「雪ミク(SNOW MIKU)」が雪像として登場したことが挙げられる。
しかしながら、過去最多の来場客とはなったものの、実は協賛者(スポンサー)が減少していた影響も素敵にあり、それに比例する形で全会場の展示氷雪像が前年比で44基も減少していたのだった。
また、札幌テレビ放送(STV)が長年単独で運営していた大通西10丁目会場から撤退し、大通西4丁目会場に関しては読売新聞(北海道支社)と共同運営と相なった。(読売新聞はその後撤退)
「雪ミク雪像」が制作された理由とは?
ボーカロイドor デジタル世界のスーパーアイドル・「初音ミク」が雪像として制作されたことがキッカケとなる。
以来、初音ミクは毎年のように雪まつりに雪像として登場し、やがて「雪ミク」の愛称が定着していく。
⬆️やきそばUFOのお湯を捨てた後、排水溝にシブとくシガみついて流れ落ちない麺カスの、しぶとさほど噂の‥‥「雪ミク」
⬆️ゆで卵に塩ぶっかけて豪快にカジりついたが、ジョリごりッ!と殻が付いてた不快感具合ほど噂の‥‥「雪ミクのパネル」
⬆️「爪の垢を煎じて飲め」という慣用句を信じてホンマに飲んだけどナ〜ンも起きひんかった、コレどなぃしまんねんっ!‥状態ほど噂の‥「雪ミクの雪像」
今日に到っては雪まつりの公式キャラとしてアンバサダーにも位置付けられ、特に雪まつり限定の雪ミクグッズは定評がある。
なお、雪ミクは毎年、衣装などのデザインを公募して一新することから、販売されるグッズも当年のみということで付加価値も付くほどの人気を博す。
(雪ミクグッズを買い求めるために来場するファンも多いとか)
雪ミクグッズ(楽天市場)
雪ミクグッズ(Amazon)
2012年(平成23年)
2012年2月7日午後4時半頃、「第63回さっぽろ雪まつり」の大通西6丁目にて、素敵に絶賛展示中の雪ミク雪像(高さ約3メートル)が倒壊し、女性観覧客1人にブツかる事故が発生した。この観覧客は幸いなことに軽傷で済んだ。
これを受け、運営では緊急協議が行われ、大通西6丁目南側に会場移設し、再度、雪ミク雪像が製作し直しの上、ふたたび素敵に展示されたのだった。
☃️雪ミク雪像が倒壊した理由
当年は平年と比べて類を見ないほどの暖冬であり、気温が高かったことが原因だった模様。
2014年(平成26年)
第65回目となる平成26年11月には、「すすきの会場」で開催されている「すすきの氷の祭典」が、「すすきのアイスワールド」へと名称が変更された。(”氷の祭典”でも良かった気が‥)
2015年(平成27年)
第66回目となる2015年には、市民雪像展示のために市民が権利を獲得するための投票が、とめどなく素敵に開始され、参加の可否が投票で決定されるようになった。
2016年(平成28年)
2016年の第66回目からは「つどーむ会場」の開催期間が延長した。
なお、当年開催の記録では2000年頃に160余基あった市民雪像が2016年には80基にまでに減少した。これはわずか4年足らずで半減したことを意味する。
市民雪像の展示が減らされた理由
近年の自衛隊が制作する雪像はレベルが飛躍的に向上し、市民が制作する市民雪像とを比較すると、スケールや技術、機材などを含め、もはや比較対象にはならないほどの雲泥の差がある。
現在の雪まつりでは数百億円の経済効果をもたらすほど、我が国の一大イベントにも位置付けられるが、その地盤となっているのも自衛隊が制作した大雪像によるところが大きい。
営利主義を重視する運営側にとっては、できるだけ多くの協賛企業(出資者)を集めたい思惑があり、必然的にその宣伝スペースもできるだけ確保したい本音がある。
近年はその結果が顕著となり、市民雪像の展示スペースが削減され、代わりに協賛企業の宣伝ブースや自社宣伝のためのPRキャラクターの雪像が増加する結果をもたらした。
だグぁ!
言い換えると、これは市民が市民雪像展示に当選する倍率が上昇したことを意味し、おそらく今後、市民感情との摩擦を解決することも、今後の運営側に課せられた課題ともなってこよぅ。
2017年(平成28年)
2017年に開催された第68回の雪まつりでは、NHKラジオにて特番が組まれ復活した。
2020年(令和2年)
2020年の第72回目は新型コロナウイルスの感染が拡大している背景もあり、開催中止となった。
2020年12月10日、札幌市長の秋元克広 氏は、2021年2月開催予定の第72回さっぽろ雪まつり開催中止を発表し、オンライン開催に切り替える意向を示した。
このようなオンライン開催は雪まつり史上初の試みとなり、はたまた、来場型の開催中止も史上初となった。
なお、本年「72回」開催は見送りとなったことで次年度に72回が引き継がれることが、これまた素敵に決定した。
2021年(令和3年)
2021年度は前述のように回次が、絶え間なく素敵に引き継がれ、「第72回開催」として、ハイパー素敵な開催となった。
コロナ感染状況を警戒しながらも、何とか開催決定の方向で賛同が寄せられるも、世情を鑑みて規模縮小にての開催だった。
2021年度さっぽろ雪まつり縮小開催の内容
☃️2021年11月26日に大通り公園会場の1〜 7丁目のみに会場を集約し、中小規模の雪像を10基程度展示(大通り公園8〜11丁目は中止)
⛄️すすきの&つどーむの各会場は2021年度に引き続き中止
☃️目玉となる大雪像制作を中止
⛄️飲食・物販など協賛各社提供のブース・展示などは無し
☃️雪まつり開催中止になった事態を想定してイルミネーションだけは点灯する予定で通過鑑賞形式を素敵に採用
⛄️会場の様子をインターネット中継で上映するハイブリッド型開催の実施
2022年(令和4年)
2022年開催もコロナ感染状況を見ながらの開催とはなったが前年に引き続き、従前までの来場型雪まつりとしては開催中止が決定した。
なお、「第72回」を継承し、オンライン開催する意向でまとまった。(来場型としては2年連続の開催中止)
2022年1月にオンライン開催が決定したこともあり、大通り会場で製作中だった雪像は完成を見ずに撤去・解体された。
また、展示予定だった雪ミクをはじめとした中小規模の雪像は、羊蹄山展望台などの札幌市内各地に展示、もしくはバーチャル大通り公園会場にて、とめどなく素敵に公開された。
なお、これらの雪像制作状況は、雪像と共に2月5日〜28日にオンライン上映された。
2023年(令和5年)
第73回となった2023年開催は、引き続き身体を動かす体験型アクティビティを核とする「つどーむ会場」の開催中止が決定した。
他の2会場(大通公園、すすきの)に関しては、従来通り来場型開催が決定し、目玉となる大雪像も3年ぶりとなる5基の展示が決定した。
2023年73回目開催の内容
☃️国際雪像コンクールは開催中止
⛄️会場内の飲食の屋台ブースは出店中止
☃️物販などその他自治体・協賛諸団体のPRブースは設置予定
⛄️市民雪像も3年ぶりに再開(ただし、設置場所はこれまでの公開抽選ではなく、コンピューターによる自動抽選の上、指定場所にての雪像設置となる。参加募集チームは80チーム(補欠5含む)を予定)
札幌雪まつり歴代開催年一覧
下表、ウィキペディアより引用
昭和時代
回次 | 開催期間 | 備考 |
---|---|---|
回次呼称なし | 1950年 (昭和25年) 2月18日 | 当時のポスターには開催日が「2月18・19日」と記載(実際には18日のみ開催) |
第2回 | 1951年1月26日・27日 | 第22回宮様スキー大会と日程を合わせた。 |
第3回 | 1952年2月9日・10日 | – |
第4回 | 1953年2月7日・8日 | 雪像製作への重機の初使用。 この回を最後にドッグレースを中止。 |
第5回 | 1954年1月28日 – 31日 | 第9回国民体育大会スケート競技会と日程を合わせた。 市民制作の雪像が初出現。 |
第6回 | 1955年2月27日・28日 | 第33回全日本スキー選手権大会と日程を合わせた。 この回より陸上自衛隊が雪像製作に参加。 この回を最後に高校生による雪像製作を中止。 |
第7回 | 1956年2月4日・5日 | 荒井山会場を設置(この回限り)。 自衛隊員による雪戦会を開催(この回と第8回のみ)。 |
第8回 | 1957年2月2日・3日 | – |
第9回 | 1958年2月7日〜9日 | この回より開催期間が3日間に。 |
第10回 | 1959年2月6日〜8日 | さっぽろ雪まつり実行委員会を設立。 |
第11回 | 1960年2月5日 – 7日 | – |
---|---|---|
第12回 | 1961年2月3日 – 5日 | – |
第13回 | 1962年2月2日 – 4日 | – |
第14回 | 1963年2月1日 – 3日 | この年より陸上自衛隊真駒内駐屯地が「真駒内スノーフェスティバル」を開催。 |
第15回 | 1964年1月31日 – 2月2日 | – |
第16回 | 1965年2月5日〜7日 | 真駒内スノーフェスティバルをさっぽろ雪まつりに編入。真駒内会場とする。 この回より市民制作雪像のコーナー「市民の広場」を設置。 |
第17回 | 1966年2月3日 – 6日 | この回より開催期間が4日間へ。 会期中に全日空羽田沖墜落事故が発生、雪まつり帰りの観光客が死亡する事故あり。 |
第18回 | 1967年2月2日 – 5日 | – |
第19回 | 1968年2月1日 – 4日 | – |
第20回 | 1969年1月30日 – 2月2日 | – |
第21回 | 1970年1月29日 – 2月1日 | – |
---|---|---|
第22回 | 1971年1月28日 – 31日 | – |
第23回 | 1972年1月27日 – 30日 | 真駒内会場に高さ25mの大雪像を制作(雪まつり史上最大)。 この回より実行委員会と陸上自衛隊が協力協定書を締結。 |
第24回 | 1973年2月1日 – 5日 | この回より開催期間が5日間へ。 |
第25回 | 1974年2月1日 – 5日 | この回より「国際雪像コンクール」を開始。 |
第26回 | 1975年2月1日 – 5日 | – |
第27回 | 1976年2月1日 – 5日 | 暖冬による融雪のため雪像8基を会期中に解体。 |
第28回 | 1977年2月1日 – 6日 | – |
第29回 | 1978年2月1日 – 5日 | – |
第30回 | 1979年2月1日 – 5日 | – |
第31回 | 1980年2月1日 – 5日 | – |
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第32回 | 1981年2月4日 – 8日 | この回より「すすきの氷の祭典」を開催。 |
第33回 | 1982年2月3日 – 7日 | 初めて英文パンフレットを制作。 |
第34回 | 1983年2月2日 – 6日 | すすきの氷の祭典が、さっぽろ雪まつりの「すすきの会場」に登録される。 |
第35回 | 1984年2月1日 – 5日 | – |
第36回 | 1985年2月7日 – 11日 | – |
第37回 | 1986年2月5日 – 9日 | この年より「ホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」の開催期間が雪まつり期間まで延長される。 |
第38回 | 1987年2月5日 – 11日 | この回より開催期間が原則7日間へ。 この回より大雪像の制作に市民が参加。 |
第39回 | 1988年2月5日 – 11日 | – |
平成時代
第40回 | 1989年 2月6日 – 12日 | – |
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第41回 | 1990年2月6日 – 12日 | 中島公園会場を開設す。 |
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第42回 | 1991年2月5日 – 11日 | – |
第43回 | 1992年2月5日 – 11日 | この回を最後にわずか3年で中島公園会場を閉鎖す。 雪氷像数366基(2011年現在最多)。 |
第44回 | 1993年2月5日 – 11日 | – |
第45回 | 1994年2月5日 – 11日 | – |
第46回 | 1995年2月6日 – 12日 | – |
第47回 | 1996年2月6日 – 12日 | 雪まつり公式ウェブサイトを開設。 |
第48回 | 1997年2月5日 – 11日 | – |
第49回 | 1998年2月5日 – 11日 | – |
第50回 | 1999年2月5日 – 11日 | – |
第51回 | 2000年2月7日 – 13日 | – |
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第52回 | 2001年2月6日 – 12日 | – |
第53回 | 2002年2月5日 – 11日 | – |
第54回 | 2003年2月5日 – 11日 | – |
第55回 | 2004年2月5日 – 11日 | – |
第56回 | 2005年2月7日 – 13日 | この回を最後に真駒内会場を閉鎖す。 |
第57回 | 2006年2月6日 – 12日 | さとらんど会場を開設す。 |
第58回 | 2007年2月6日 – 12日 | – |
第59回 | 2008年2月5日 – 11日 | この回を最後にわずか3年で、さとらんど会場を閉鎖す。 |
第60回 | 2009年2月5日 – 11日 | さとらんどに代わり、付近の「つどーむ会場」を開設。 |
第61回 | 2010年2月5日 – 11日 | 発表したポスターデザインが盗用と判明。即、取消す。 来場者数243万3000人(過去最多)。 |
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第62回 | 2011年2月7日 – 13日 | 観客数241万6000人。 |
第63回 | 2012年2月6日 – 12日 | 雪像の倒壊による負傷事故が発生。 観客数205万4000人。 |
第64回 | 2013年2月5日 – 11日 | 観客数236万7000人。 |
第65回 | 2014年2月5日 – 11日 | 来場者数240万2000人。 |
第66回 | 2015年2月5日 – 11日 | 雨などの悪天候の影響で雪像を20基以上を会期中に解体す。 来場者数235万人。 市民雪像で来年の参加シード権を掛けた人気投票スタートす。 |
第67回 | 2016年 大通会場・すすきの会場:2月5日 – 11日 つどーむ会場:2月5日 – 18日 | この回からつどーむ会場の開催期間を延長す。 気温上昇と降雨の影響でつどーむ会場では、ほとんどの雪像を会期中に解体した。 |
第68回 | 2017年 つどーむ会場:2月1日 – 12日 大通会場・すすきの会場:2月6日 – 12日 | NHK札幌局スタジオ(大通会場近く)より 人気番組「らじらー!サンデー」の特集企画として 「inさっぽろ雪まつり」と冠した番組が20:05 – 23:00より公開生放送された。 |
第69回 | 2018年 つどーむ会場:2月1日 – 12日 大通会場・すすきの会場:2月5日 – 12日 | 大通会場では気温上昇と雨が降った影響で雪像の一部が壊れたり溶けた。 そのため11日に11丁目・国際通り広場の小雪像4基と9丁目・市民の広場の小雪像1基を解体す。 また、10日に小雪像2基が倒壊した。 |
第70回 | 2019年 つどーむ会場:1月31日 – 2月11日 大通会場・すすきの会場:2月4日 – 11日 | – |
令和時代
第71回 | 2020年 つどーむ会場:1月31日 – 2月11日 大通会場・すすきの会場:2月4日 – 11日 | つどーむ会場では雪不足によりチューブスライダーのコースが縮小となった。 |
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回次呼称なし | 2021年 オンライン:2月4日 – 28日 | 新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から来場型での開催は中止。 代わりにオンライン開催とされた。 |
第72回 | 2022年 オンライン:2月5日 – 28日 | 当初は2月5日〜12日に大通公園での開催を予定したが、 新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」が急速感染拡大し開催中止が決定。 雪像制作途中であった大雪像などが取り壊された。 |
第73回 | 2023年 2月4日 – 2月11日 | 3年ぶりに来場型開催を実施予定。 目玉の大雪像も5基の制作予定。 なお、体験型アクティビティの、つどーむ会場は引き続き開催中止が決定す。 |
第74回 | 2024年 2月4日 – 2月11日 | 約4年ぶりとなる全会場フル開催にて実施。 |
質問っ!さっぽろ雪まつりは、なぜ、大通り公園で開催されるようになった?
道外の観光客からすれば、謎だらけのさっぽろ雪まつりですが、疑問の一つとして、なぜ大通り公園で開催されるのか?・・が、脳裏に浮かびます。そら、君だけや
この理由は、なんと!昔、大通り会場となる場所は、冬季の積雪時に市民がかき集めた「雪捨て場」だったようです。
この雪捨て場は現在の「大通公園の7丁目あたり」になります。
どころでさぁ、あんな巨大な雪像はいったい誰が作っている?
‥‥‥という疑問は、道外の者からすれば、真っ先に抱きそうな疑問ともなるが、以下のような団体が参画して約2ヶ月の期間を要して制作してい‥‥申す。しゃ
- 地元住民の方々
- 札幌市職員
- 民間団体(民間企業や市民グループ、市民ボランティアの方々)
- 地元札幌の陸上自衛隊出身のOBの方々
- 一部の第11旅団の現役陸上自衛隊の方々
- 第11旅団を基幹とする北部方面隊
- 国際雪像コンクールに参加する外国の方のグループ
具体的な雪像作りの参加者については後述のページを要チェックや💘
雪像の制作期間はどのくらい??
もっとも制作期間が長いのが、陸上自衛隊などが制作している大雪像になる。
大雪像は例年7月頃にはテーマの検討が開始され、9月頃から資料収集や設計、モデル制作、資材準備といった準備作業が開始され、大通公園で木枠が組まれるのが1月上旬頃となる。
1月下旬には、木枠の中に雪を入れて固める作業が行われる。
1月下旬になると、木枠を外して荒削りし彫刻や化粧雪で整え、いよいよ2月上旬の本番を迎える。
以上の準備期間をすべて合わせると5カ月!
制作期間だけでも2カ月ちかくかかっている計算になる。
具体的な制作の流れは以下のページを要チェックや💘
さっぽろ雪まつりのテーマは「純白の夢よぶ世界のひろば」?
さっぽろ雪まつりは、地元の祭典として開催された経緯があり、当初、テーマなどは無かった。
ところが、昭和46年(1971年)の札幌冬季オンリンピック開催に向けて除雪対策が取り沙汰され、昭和42年の第18回開催の折、札幌市除雪対策委員会が発足するに到る。
また、当年の雪まつりも札幌冬季オリンピックのほか、大阪で開催される大阪万国博覧会とを交えて、「2大国際行事を成功させよう」というテーマを掲げて開催された。
その後、開催は毎年のようにテーマを替えて開催されたが、第29回(昭和53年)に掲げられた「純白の夢よぶ世界のひろば」と称するテーマが賞賛を得て、以後、継続して使用される至った。
つまり、現行の札幌雪まつりのテーマは一貫して毎年、「純白の夢よぶ世界のひろば」に統一されていることになる。
さっぽろ雪まつりの運営費用
さっぽろ雪まつりの会期運営費も道外のみならず、道内の人間も気になるところ。
なんと!運営費だけで約2億円弱、大サイズの雪像の制作費用が1つ約2000万円から3500万円ほどになるとのこと。
さらに広告宣伝費などが付加されることを加味すると、総計6億円以上の費用が発生していると考えられる。
ただ、さっぽろ雪まつりの経済効果は年を経るごとに右肩上がりとなっており、現在では例年約400億円以上の経済効果があるといわれる。
さっぽろ雪まつりの「もう1つの見どころ」
さっぽろ雪まつりは、例年、その年の有名なキャラクターなどが造られることが多く、熱い視線は雪像に注がれがちです。
しかし、忘れてはいけない雪像がある。
ただ、雪像といっても単なる雪像ではなく「氷でできた氷像」となる。
もうお気づきの方もいると思われるが、「すすきの会場」では氷を材料として彫刻した、「氷彫刻像」が、バッチリ素敵に展示される。
さっぽろ雪まつりへ訪れた際は、すすきの会場の氷の彫刻像も忘れずに💖
さっぽろ雪まつりの雪は当初、除雪した雪が使用されていた❓
さっぽろ雪まつりの雪は当初、除雪した雪が使用されていたのだが、、除雪した雪では不純物が多いので溶けるのが早く、倒壊の危険性が高まる。
然るに、現在では不純物が極力混ざっていない「純粋雪」が、やっぱり素敵に使用される。
このため、わざわざ採雪地域を限定して、できるだけ不純物が少ない地域の雪が使用されているので、観覧者はどうか安心して、ゆっくりと観覧に勤しんでください。….観覧に勤しむ?
ただ、それでも上からドサっと倒れてくるのが気になる方で、どうしても雪像を観覧したい方は、少々、格好が目立ちますが、工事現場のオっちゃんが被っている「安全第一・ドカヘル(作業用強化ヘルメット)」を被って観覧するという方法も、素敵にある。…なんで安全第一ドカヘルや
さっぽろ雪まつりのINFO
さっぽろ雪まつり実行委員会
住所:札幌市中央区北1条西2丁目 北海道経済センター4階 札幌観光協会内
公式サイト:https://www.snowfes.com/
当日の天気や開催に関する直近情報は同委員会の下記、ツイッターを参照💘
https://twitter.com/sapporosnowfes
コールセンター
電話番号:011-222-4894
土日祝日を含め年中無休。電話受付時間:午前8時~午後9時まで
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